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【2025/05/09 20:04 】 |
ジェニファー・ジョーンズ
ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones、出生名:Phylis Lee Isley、1919年3月2日[1][2] - 2009年12月17日[1][2])はアメリカ合衆国オクラホマ州タルサ出身。1940から50年代を代表するハリウッド女優[1][3]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 主な出演作品
3 脚注
4 外部リンク
来歴 [編集]

本名フィリス・リー・イスリーとして生まれる。両親は巡業劇団を持っていたため、子供の頃から舞台に立っていた。
ノースウェスタン大学とニューヨークのアメリカ演劇アカデミーで学び、19歳の時に同じく俳優の卵であったロバート・ウォーカー(アルフレッド・ヒッチコック監督の『見知らぬ乗客』が有名)と結婚。夫がラジオの仕事を得、ジョーンズも端役で西部劇などに出演するようになる。
1940年代前半に映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックのスクリーンテストのためにハリウッドに移ったときに名前をジェニファー・ジョーンズに改名[2]。舞台のオーディションのためにのオフィスに行き、セルズニックに認められて彼の元で契約を交わすことになった。
その後、1943年『聖処女』に主演、アカデミー主演女優賞を受賞した。
1944年には最初の夫と離婚、1949年にセルズニックと再婚し、彼の元で様々なジャンルの映画に出演、アカデミー賞に4度ノミネートされるなど高い評価を得た。1955年(昭和30年)1月30日、『慕情』の香港ロケへ向かう途中に共演のウィリアム・ホールデンと来日を果たしている。1965年のセルズニックの死後はほとんど引退状態であったが、1974年の『タワーリング・インフェルノ』に顔を出している。
『タワーリング』以降は俳優活動を行うことが完全に無くなり、メディアへの露出も幾つかのドキュメンタリー番組に顔を出す程度であったが、1998年の第70回アカデミー賞授賞式と2003年の第75回アカデミー賞授賞式に登場し、健在ぶりをアピールする事もあった。
2009年12月17日、カリフォルニア州マリブの自宅にて死去[2]。90歳没[1][2]。死因は老衰[1]。
ロバート・ウォーカーとの間に設けた息子ロバート・ウォーカー・ジュニアも俳優になり、映画『イージー・ライダー』やドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』、『L.A.ロー 七人の弁護士』などに出演している。
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【2011/01/08 18:21 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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