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浜 亮太(はま りょうた、1979年11月21日 - )は、大阪府茨木市出身のプロレスラー。全日本プロレス所属している。1994年から2008年まで、大相撲八角部屋所属の力士として活動した。四股名は北勝嵐(ほくとあらし)、最高位は幕下6枚目。
力士時代は身長175cm、体重182kg。プロレスラー転向後は、公称体重189kgとされていたが、実際には体重は200kgを超えており、一説には203kgとも言われていた[1]。身長はヘビー級としてはかなり低めだが、体重に至っては日本出身プロレスラー史上最重量となる。本名は、濱 亮太(はま りょうた)。 目次 [非表示] 1 経歴 1.1 大相撲時代 1.2 プロレス転向 2 改名歴 3 得意技 4 タイトル歴 5 エピソード 6 脚注 7 外部リンク 経歴 [編集] 大相撲時代 [編集] 1994年、大相撲の八角部屋に15歳で入門し、1995年7月場所に濱亮太の四股名で初土俵を踏む。1997年11場所から北勝嵐と改名し、3場所全休で序二段まで下がった1999年7月場所で序二段優勝、2001年9月場所には幕下優勝を飾り、翌11月場所では自己最高位の東幕下6枚目に昇進した。頭でぶちまかす突き押し相撲を得意としたが、ケガが多くたびたび休場を繰り返し、2008年5月場所には両膝膝蓋骨を脱臼したため、この場所限りで引退した。断髪式には、横綱の白鵬も駆けつけた。 プロレス転向 [編集] 2008年プロレス転向を決意し7月に全日本プロレスに入団。頭を丸めて1日目から練習生として入寮し電話番やちゃんこ番をこなしているという。 7月14日、事務所で入団会見を行う。武藤敬司と共に出席し「体重があるのに動ける吉江豊選手が目標」と語った。 武藤は「歳も歳だしゆっくりしていられない」と語り努力次第でデビューも近いかもしれないと語っていた。 そして11月3日の両国国技館大会という大きな舞台でのデビューが決定、更にその相手が元横綱の曙であることを発表。この破格の待遇に期待の大きさが窺える。 さらに体重を189kgまで増量し、今までは丸坊主がそのまま伸びたような新人らしい髪型だったがデビューに向けて大金星を狙えるようにと金髪のパンチパーマというヘアスタイルにした。 デビュー戦では、曙の巨体を投げきるなど奮闘。その甲斐もあってか、翌日の会見では武藤敬司と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦への出場が発表された。デビュー直後の抜擢は1992年大会の秋山準と並び異例の早さである。 11月16日の台湾大会では、ランニングボディ・プレスで早くも先輩荒谷望誉からプロ初勝利をあげる。 最強タッグが始まる前まではタッグマッチの経験がまったくなく、全敗も予想されたが、3勝4敗・勝ち点6の成績を残した。その1勝の中には師匠であるカズ・ハヤシからフォールを奪う活躍も見せた。敗れた試合でも先輩選手達から後1歩のところまで苦しめるなど、圧倒的なインパクトと存在感を残した。 2009年3月14日の両国大会ではデビュー戦の相手を務めた曙とタッグを結成しゾディアック&ジョー・ドーリングの「ブードゥータワーズ」と対戦、VOODOO-MURDERSによる度重なる反則に苦しめられ惨敗を喫する。 4月にはチャンピオン・カーニバルに参戦、開幕戦ではゾディアックを新技「リョウタハマー」で下し、さらに太陽ケアにも勝利し、2勝3敗でチャンピオン・カーニバルを終えた。 2009年9月23日、後楽園ホールにて曙とタッグを組み、鈴木みのる&NOSAWA論外組を破り、第82代アジアタッグ王座を獲得。そして12月10日、プロレス大賞・最優秀タッグチーム賞と新人賞を受賞。17日には曙とのタッグチーム名を「SMOP」(スーパー・メガトン・オオズモウ・パワーズ)にすることを発表した。 2010年1月2日、タッグマッチながら三冠王者の小島聡からフォールを奪う。さらに2月7日には武藤からもフォールを奪い、試合後マイクで三冠王座挑戦をアピールした。 そして3月21日、両国国技館で小島をシャイニング・ウイザードからのリョウタハマーで沈め三冠王座を獲得。デビュー後1年4ヶ月18日という三冠王座史上最短挑戦試合は、諏訪魔の最速戴冠(デビュー3年6カ月)も塗り替えるダブル記録をも樹立した。 4月29日、TARU&ビッグ・ダディ・ブードゥ組に敗れてアジアタッグ王座から陥落し、試合後曙と仲間割れした。5月2日には鈴木みのるに敗れ三冠王座からも陥落した。 5月2日の試合後には、諏訪魔や河野真幸らと新世代軍を結成した。 改名歴 [編集] 濱 亮太(はま りょうた) 1995年7月場所-1997年9月場所 北勝嵐 亮太(ほくとあらし りょうた) 1997年11月場所-2008年5月場所 得意技 [編集] リョウタハマー いわゆるジャックハマー。 ボディ・プレス コーナーから走ってボディ・プレスをすることもある。日本人最大の巨体を活かし、その巨体が上から降ってくる様は相手選手に恐怖を与え、説得力も十分にある。この技によって、台湾大会で、デビュー2戦目にして先輩・荒谷望誉から初勝利を奪った。 エルボー・ドロップ ドラゴン・スリーパー 対戦相手の顔を自身の脂肪で覆い、呼吸を奪いながら思いっきり体重をかけて締め上げる。この技を受けた小島聡はある意味でこの技の元祖である藤波辰爾を超えた威力があると述べている。 チョークスラム ハンマーパンチ タイトル歴 [編集] 第41代三冠ヘビー級王座 第82代アジアタッグ王座 (パートナーは曙) 第2代F-1タッグ選手権 (パートナーは長州小力) プロレス大賞 新人賞(2009年)、最優秀タッグチーム賞(2009年、パートナーは曙) エピソード [編集] 角界入りした時の体重は80kg。しかしすぐに大食漢の才能が開花しわずか2年で203kgにもなった。力士時代はフライドチキン20ピースを平らげる、焼酎のボトルを2人で一晩30本空ける、100個食べたら無料のギョーザ専門店では完食するなど多くの伝説を残した。 プロレス転向後もファンから全日本プロレスの道場にギョーザ1000個が届き、チャンコ番の浜が毎日つまみ食いして、約700個を1人で食べ、更に焼肉店で肉30人前、都内の寿司店でにぎりずし80貫平らげた。お陰で196kgだった体重が力士時代の203kgに激増した。なお道場の体重計は150kg以上は計測不能で、知人から紹介された都内の鉄工所で3トンまで量れる業務用のはかりにのり計測したらしい。 またプロレス転向にあたって大関の千代大海から「武藤さんにヒールとして売り出してもらえよ」とエールを送られ、相撲時代の師匠・八角親方からは『性格はプロレス向き。頑張って欲しい』とエールを送られた。また師匠の武藤はコーチ役に若手育成係でもあるカズ・ハヤシをあて「ガッツがある。プロレスを好きって気持ちだけじゃない」と彼の肉体だけでなく精神的強さも褒めている。 携帯サイト「プロレス・格闘技DX」内の全日本コーナーで、デビュー前からブログを受け持つことになった。 先輩レスラー達から可愛がられているのかよく先輩レスラーのブログに登場する。 角界出身だけあって彼のちゃんこは絶品であると伝えられている。さらに食後のデザートも欠かさないとのこと。 あまりに大き過ぎるため、試合中タッグパートナーの武藤に「邪魔だ!どけ!」と言われたことがある。 CX系「クイズ!ヘキサゴンII」スペシャル(2010年6月23日放送回)で、浜は「もし突然おデブちゃんが大勢目の前から突進してきたら」というドッキリにおデブちゃん役で参加した。この時のターゲットの1人だった上地雄輔とは昔の飲み仲間らしく、現在もメールで連絡を取り合う仲らしい。 PR |
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