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ハワード・ショア(Howard Shore、本名: Howard Leslie Shore、1946年10月18日 - )は、主にアメリカ映画の映画音楽を手掛けるカナダ出身の音楽家。
目次 [非表示] 1 プロフィール 2 主な作品 3 主な受賞 4 外部リンク プロフィール [編集] オンタリオ州トロントにて、ユダヤ系の家系に生まれる。1969年から1972年までバークリー音楽大学に在籍。 同じカナダの映画監督デイヴィッド・クローネンバーグの作品で頭角を現し、『ロード・オブ・ザ・リング』でアカデミー作曲賞を、同シリーズの『王の帰還』では作曲賞と歌曲賞を受賞した。また、グラミー賞では4つの賞を受賞する。 『裸のランチ』に関係してのライヴで初来日。2004年には「ロード・オブ・ザ・リング・シンフォニー」の指揮者として2度目の来日を果たす。 『ロード・オブ・ザ・リング』の監督ピーター・ジャクソンの次の作品である『キングコング』の作曲も担当していたが、映画公開2ヵ月前に突然降板した。理由は、この映画のスコアに対するジャクソンとの方向性の違いということになっている。 PR |
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リック・シュローダー(リッキー・シュローダーとも、Richard Bartlett "Ricky" Schroder, Jr., 1970年4月13日 - )はアメリカ合衆国の俳優。
1979 年の映画『チャンプ』で ゴールデングローブ賞新人男優賞を受賞するほどの華々しいデビューを飾り、その後もシットコム『Silver Spoons』などに出演。成人後も『ロンサム・ダブ』や『NYPDブルー』といったテレビドラマに出演している。 目次 [非表示] 1 人物 1.1 子役デビューまで 1.2 大人の俳優として 1.3 私生活 2 主な出演作品 2.1 映画 2.2 テレビドラマ 2.3 テレビ映画 3 監督作品 4 脚注 5 外部リンク 人物 [編集] 子役デビューまで [編集] ニューヨーク市スタテンアイランド生まれ。母ダイアンは電話会社社員で、父リチャード・バートレット・シュローダーは電話会社の地域マネージャーだった。リックにはドーンという名の姉がいる[1]。 9歳の時デビュー作『チャンプ』で、ゴールデングローブ賞新人男優賞を受賞した。翌年ディズニーの長編映画『The Last Flight of Noah's Ark』にエリオット・グールドと共演。演技が悪いわけではなかったが、興行面で失敗した。 1980年、映画『リトル・プリンス(小公子)』でアレック・ギネスと共演。この映画の前後に放映されたテレビシリーズ『Silver Spoons』の主人公リッキー・ストラットン役でスターとなる。『Silver Spoons』放送終了後、カラバサス高校に通った[2]。成長した彼は、本格的な俳優になろうと努力し、俳優として成長したことを示すために芸名をリッキーからリックに変更した。 なお、VH1の「100 Greatest Kid Stars」の18位、「100 Greatest Teen Stars」の33位にランクインした。 大人の俳優として [編集] 西部ミニシリーズ『ロンサム・ダブ』とその続編『リターン・トゥ・ロンサム・ダブ』に出演したことにより、大人の俳優としての認知度が高まり、『NYPDブルー』の第3シーズンにおけるダニー・ソレンソン、『ダナ&ルー リッテンハウス女性クリニック』のディラン・ウエスト医師、2007年に放送された『24 -TWENTY FOUR-』のマイク・ドイルといった役で視聴者への認知の土台が固まった。 2004年、2004年、シュローダーはナバホ族のボクサーを主人公にした映画"en: Black Cloud"の監督と脚本を務め、シュローダーはブラッド・ペイズリーと アリソン・クラウスの楽曲「Whiskey Lullaby」の監督をこなし、自身の娘と息子とともに出演もした[3]。2005年、PVがw:CMT Music Awardsにおいて「Collaborative Video of the Year」を受賞し、シュローダー自身は「Director of the Year」を受賞した。 2007年、シュローダーは『24 -TWENTY FOUR-』の新シーズン放送に合わせて芸名をリッキーに戻すと発表した[4]。 現在は児童虐待防止及び救済のための非営利組織・チャイルドヘルプの大使を務めている。 私生活 [編集] 1992年9月26日にアンドレア・バーナードと結婚し、今日までに4児(男子2名・女子2名)をもうける。なお、アンドレアはTVチャンネルBravoにおいて放送された『Top Design』第2シーズンで審査員を務めたインテリアデザイナーである。 シュローダー自身は共和党員で、2000年と2004年の大統領選挙ではジョージ・W・ブッシュを支持し、2008年アメリカ合衆国大統領選挙ではジョン・マケインを支持した。また、2000年にはフィラデルフィアで開かれた 共和党全国大会に参加している。 末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗している[5]。 |
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ラウル・ジュリア(Raúl Juliá、本名:ラウル・ラファエル・フリア・イ・アルセライ(Raúl Rafael Juliá y Arcelay)、1940年3月9日 - 1994年10月24日)は、プエルトリコ出身の俳優。
生涯 [編集] 1940年にサンファンにて、4人兄弟の長男として生まれる。プエルトリコ大学で歴史を学びながら、劇団に所属。 大学卒業後、サンファン市内のナイトクラブで働いているところを俳優のオーソン・ビーン(Orson Bean)に見出され、1964年にニューヨークに移り、舞台俳優としてキャリアを始める。トニー賞には4回ノミネートされた。1985年公開の『蜘蛛女のキス』で注目を集め、映画にも出演するようになる。『蜘蛛女のキス』と『パラドールにかかる月』でゴールデングローブ賞にノミネートされた。 1965年にMagda Vasalloと結婚するが、1969年に離婚。1976年にMerel Polowayと再婚。 1994年に胃癌と脳卒中の併発から54歳の若さで急死。遺体はプエルトリコに戻り、多くのファンに見守られながら国葬の礼を持って迎えられた。 その後、テレビ映画『The Burning Season』でエミー賞、ゴールデングローブ賞、全米映画俳優組合賞を受賞した。 |
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小谷 直之(こたに なおゆき、男性、1981年12月8日 - )は、日本の総合格闘家。神奈川県横須賀市出身。ロデオスタイル所属。ニックネームは「ZSTのエース」。兄は総合格闘家の小谷ヒロキ。
目次 [非表示] 1 来歴 2 戦績 2.1 グラップリング 2.2 シュートボクシング 3 脚注 4 関連項目 5 外部リンク 来歴 [編集] 2000年7月30日に行われた第8回アマチュアリングスで優勝し、同年9月5日にリングス BATTLE GENESIS Vol.6でプロデビュー。 2002年3月31日、シュートボクシングで宍戸大樹と対戦。2Rに2度のダウンを奪うも、右ストレートでKO負け[1] リングス崩壊後はZSTに2002年11月23日の旗揚げから参戦。エースの名に相応しく、所英男やレミギウス・モリカビュチスを下している。 2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-におけるライト級GPに参戦、1回戦でルイス・アゼレードにKO負け。 2007年4月5日、UFC Fight Night 9に参戦、チアゴ・タバレスに判定負け。 2007年9月8日、UFC 75でデニス・シヴァーと対戦し、KO負けを喫した。 2008年10月1日、初参戦となったパンクラスで大石幸史と対戦し、判定負け。11月23日、ZST.18で永田克彦と対戦、苦戦するも2Rにヒールホールドで一本勝ちを果たした。 2009年11月23日、ZST.22で中村大介と対戦し、横洗濯ばさみで一本勝ち。試合後、「一応、大晦日の予定は空けています」とDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜への参戦をアピールした[2]。 2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜でホルヘ・マスヴィダルと対戦し、1-2の判定負け。 2010年9月26日、自身のデビュー10周年記念大会として開催されたZST.25のメインイベントでエリヤと対戦し、ヒールホールドで一本勝ちを収めた[3]。 戦績 [編集] 総合格闘技 戦績 38 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 21 勝 2 18 1 0 7 0 10 敗 5 1 4 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 ○ エリヤ 1R 1:04 ヒールホールド ZST.25 〜小谷直之デビュー10周年記念大会〜 2010年9月26日 × ホルヘ・マスヴィダル 5分3R終了 判定1-2 吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜 2010年4月25日 △ 伊藤健一 5分2R終了 時間切れ ZST.23 2010年2月20日 ○ 中村大介 1R 1:37 横洗濯ばさみ ZST.22 〜旗揚げ7周年記念大会〜 2009年11月23日 ○ 内村洋次郎 1R 1:25 アンクルホールド ZST.21 2009年9月21日 × 弘中邦佳 2R 1:43 変形ネックロック ZST.20 2009年5月24日 ○ 永田克彦 2R 4:38 ヒールホールド ZST.18 〜旗揚げ6周年記念大会〜 2008年11月23日 × 大石幸史 5分3R終了 判定0-3 パンクラス PANCRASE 2008 SHINING TOUR 2008年10月1日 △ 金原正徳 5分2R終了 時間切れ ZST.15 2007年11月23日 × デニス・シヴァー 2R 2:04 KO(左フック) UFC 75: Champion vs. Champion 2007年9月8日 × チアゴ・タバレス 5分3R終了 判定0-3 UFC Fight Night 9 2007年4月5日 ○ 奥出雅之 1R 0:48 腕ひしぎ十字固め ZST.12 2007年2月12日 △ エリカス・ペトライティス 5分2R終了 時間切れ ZST.11 2006年11月23日 ○ 佐東伸哉 1R 2:10 腕ひしぎ十字固め ZST GT-F2 2006年5月27日 △ ダリウス・スクリアウディス 5分2R終了 時間切れ ZST.9 2006年2月18日 ○ ヴィト・ウッズ 1R 1:23 腕ひしぎ十字固め Xtreme Fighting Organization 8 2005年12月10日 × ルイス・アゼレード 1R 0:11 KO(サッカーボールキック) PRIDE 武士道 -其の九- 【ライト級GP 1回戦】 2005年9月25日 △ ダリウス・スクリアウディス 5分3R終了 時間切れ ZST-GP2 2005年1月23日 × ロジャー・ウエルタ 1R 1:29 TKO(パウンド) Xtreme Fighting Organization 4 2004年12月3日 × イーブス・エドワーズ 1R 3:10 TKO(パウンド) Euphoria MFC: Road to the Titles 【ライト級トーナメント 1回戦】 2004年10月15日 ○ 所英男 1R 1:44 ヒールホールド ZST.6 2004年9月12日 ○ レミギウス・モリカビュチス 1R 2:07 腕ひしぎ十字固め ZST BATTLE HAZARD 01 2004年7月4日 × マーカス・アウレリロ 2R 3:34 TKO(カット) ZST.5 2004年5月5日 × リッチ・クレメンティ 5分2R終了 判定0-3 ZST GP final stage 【2回戦】 2004年1月11日 ○ ミンダウガス・スミルノヴァス 1R 0:49 腕ひしぎ十字固め ZST GP opening stage 【1回戦】 2003年11月23日 ○ ミンダウガス・スミルノヴァス 1R 1:36 ヒールホールド ZST.4 2003年9月7日 △ ミンダウガス・スミルノヴァス ポイント0-0 BUSHIDO RINGS: ADRENALINAS 2003年4月5日 ○ アントワーヌ・スキナー 1R 1:35 ヒールホールド ZST.2 2003年3月9日 ○ ミンダウガス・ラウリナイティス 1R 2:16 三角絞め ZST.1 2002年11月23日 ○ 芹澤健市 1R 0:20 TKO(パンチ) DEMOLITION 2002年9月8日 × 門脇英基 2R 2:33 チョークスリーパー The CONTENDERS 7 NEXT 2002年7月7日 ○ 吉信 1R 1:41 チョークスリーパー リングス WORLD TITLE SERIES Grand-Final 2002年2月15日 ○ 飯田崇人 1R 3:02 腕ひしぎ十字固め リングス WORLD TITLE SERIES 2001年12月21日 ○ 所英男 5分3R終了 判定2-0 リングス Battle Genesis Vol.8 2001年9月21日 △ 若林次郎 5分3R終了 判定0-1 リングス WORLD TITLE SERIES【ユニバーサルバウト】 2001年4月20日 ○ カーティス・ブリガム 2R 1:59 アームロック リングスUSA - Battle of Champions 2001年3月17日 ○ 西内太志朗 1R 0:32 腕ひしぎ十字固め リングス Battle Genesis Vol.6 【WEF出場者決定トーナメント 決勝】 2000年9月5日 ○ 姿清仁 1R 0:42 KO リングス Battle Genesis Vol.6 【WEF出場者決定トーナメント 1回戦】 2000年9月5日 グラップリング [編集] 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × 門脇英基 2R 2:33 チョークスリーパー The CONTENDERS 7 NEXT 2002年7月7日 シュートボクシング [編集] |
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