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【2025/05/13 05:33 】 |
バック・ロブレ
バック・ロブレイ(Buck Robley)のリングネームで知られるフィル・バックリー(Phil Buckley、1942年 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。インディアナ州インディアナポリス出身。
※リングネームの読みは「ロブリー」が原音に近いが、本項では日本のプロレス史における慣例的な表記に準ずる。
目次 [非表示]
1 来歴
2 獲得タイトル
3 脚注
4 外部リンク
来歴 [編集]

アメリカ海兵隊でのレスリングのキャリアを背景に、1966年にミッドサウス(オクラホマ、ルイジアナ、ミシシッピ)のNWAトライステート地区にてデビュー[1]。当時はフィル・ロブレイのリングネームを名乗り、1970年2月に日本プロレスに初来日している。
1971年、交通事故で負傷したためにマネージャーに一時転身[1]。その後もレスラー兼任のヒールのプレイング・マネージャーとなり、バック・ロブレイと改名。トライステート地区ではブッカーも兼任し、若手時代のスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディの面倒も見ていた[1]。
以降もアマリロのNWAウエスタン・ステーツ地区(ザ・ファンクス主宰)やカンザスシティのNWAセントラル・ステーツ地区(ボブ・ガイゲル主宰)などに参戦しつつ、ミッドサウス・エリアを主戦場に活動。1970年代後半よりベビーフェイスのポジションに回り、1979年にトライステートの重役だったビル・ワットが新団体MSWAを興すと、リング内外においてワットの腹心となって活躍。同年11月12日にはワットとのコンビでマイク・ジョージ&ボブ・スウィータンを破り、2代目のミッドサウス・タッグ王者となる(同王座は1980年4月6日にもジャンクヤード・ドッグと組み、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディのファビュラス・フリーバーズから奪取している)[2]。ブッカーとしても手腕を発揮し、MSWA初期の隆盛を支えた[3]。
1981年10月、全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』に来日。当時は全日本プロレスと新日本プロレスのレスリング・ウォーが激化しており、次シリーズの『'81世界最強タッグ決定リーグ戦』最終戦に新日本から引き抜かれたスタン・ハンセンが登場、ブロディとの再合体を果たした。過去の両者との関係から、この一件にはロブレイが関与していたともされている[1]。
その後も全日本マットでブロディと行動を共にし、マネージャーとなって試合のセコンドも務めたが、ロブレイは実際にブロディのビジネス上のマネージメントを担当しており、全日本やプエルトリコへのブッキングも行っていた[4]。ロブレイ本人も全日本からは厚遇され、1982年4月の『第10回チャンピオン・カーニバル』に出場した際は、ビル・ロビンソンをはじめ国際プロレスのエース外国人だったアレックス・スミルノフやモンゴリアン・ストンパーらと引き分けるなど、一介の中堅外国人に止まらない扱いを受けた。また、カーニバル終了後に開幕した『グランド・チャンピオン・シリーズ』にもブロディのマネージャー役として残留参戦し、ブロディとジミー・スヌーカの仲間割れアングルにも一役買っている。
1983年はアラバマのSECW、1984年はフロリダのCWF(エディ・グラハム主宰)などを転戦し、1985年からはサンアントニオのテキサス・オールスター・レスリング(旧SCW)の運営にもブロディと共に参画していた。引退後はルイジアナ州ボージャーシティに在住。
獲得タイトル [編集]

NWAトライステート / MSWA
NWA USタッグ王座:2回(w / ボブ・スローター、ビル・ワット)
NWAルイジアナ・タッグ王座:1回(w / ビル・ワット)
ミッドサウス・タッグ王座:2回(w / ビル・ワット、ジャンクヤード・ドッグ)
NWAセントラル・ステーツ
NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版):2回(w / クラッシャー・ブラックウェル、ブルー・ヤンキー)
NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回
NWAセントラル・ステーツTV王座:1回
その他
NWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / ハンク・ジェームズ)
NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回
脚注 [編集]

^ a b c d e 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P62(2002年、日本スポーツ出版社)
^ “Mid-South Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年3月16日閲覧。
^ “Buck Robley, wearing a “Nobody Calls Me Yellow” T-shirt”. J.R.'s Family Bar-B-Q. 2010年3月16日閲覧。
^ スタン・ハンセン『魂のラリアット』P112(2000年、双葉社) ISBN 4575291080
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【2011/01/05 02:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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