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郷野 聡寛(ごうの あきひろ、男性、1974年10月7日 - )は、日本の総合格闘家。東京都東久留米市出身。フリーランス。東京都立小平高等学校卒業。ニックネームは難攻不落のビッグマウス。
目次 [非表示] 1 来歴 1.1 パンクラス 1.2 PRIDE 1.3 UFC 1.4 戦極(SRC) 2 人物 3 戦績 3.1 総合格闘技 3.2 キックボクシング 4 獲得タイトル 5 脚注 6 関連項目 7 外部リンク 来歴 [編集] 1993年にスポーツ会館のコマンドサンボに入門。トーナメント・オブ・Jや真武館などのアマチュア大会で活躍。 1995年10月13日、トーナメント・オブ・J '95のトーナメントに出場し、1回戦で当時和術慧舟會所属の村上一成(現・村上和成)に右ハイキックでKO勝ち。準決勝ではイーゲン井上に腕ひしぎ十字固めで一本負け。 1996年3月30日、トーナメント・オブ・J '96で村上一成と再戦し、判定負け。 1996年5月7日、修斗でプロデビューを果たした。修斗時代には類稀なるセンスが光り、「総合格闘技の申し子」と称された。 1998年11月27日、修斗後楽園ホールで伝説の野次「俺だけの郷野!」が発生[要出典]。 1999年5月29日、修斗でマット・ヒューズと対戦し、判定負け。 パンクラス [編集] 2001年5月、菊田早苗率いる「GRABAKA」に移籍し、パンクラスを主戦場にする。 2002年12月21日、パンクラスでKEI山宮にKO勝ちを収めた後のマイクアピールで同年11月30日に獣神サンダー・ライガー対鈴木みのるがメインイベントとして組まれたことに対し、「今のパンクラスは馬鹿ばっかりだ!」と発言した[1]。 PRIDE [編集] 2004年2月15日、PRIDE武士道に初参戦。『PRIDE 武士道 -其の弐-』でマウリシオ・ショーグンと対戦し、KO負け。 2005年1月4日、全日本キックボクシング連盟 『SURVIVOR』でキックボクシングルールに初挑戦。全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦をコンボイ山下と対戦。1Rには左ハイキック、3Rには左フックでダウンを奪い、大差の判定勝ち。 2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟『MOVING』で王者西田和嗣と全日本ヘビー級タイトルマッチで対戦。4Rに右ストレートでKO勝ち。全日本キックボクシングヘビー級王座となった(その後、2007年4月1日付けで返上)。 2005年3月6日、パンクラスで行われた全日本キックボクシング連盟公式試合で桜木裕司と対戦。2Rにカウンターの右ストレートでKO負け。 2005年5月2日、所属するGRABAKAがパンクラスから独立。 2005年5月22日、『PRIDE 武士道 -其の七-』でクラウスレイ・グレイシーと対戦し、判定勝ち。 2005年9月25日、『PRIDE 武士道 -其の九- ウェルター級グランプリ』では、1回戦でダニエル・アカーシオに得意の戦術で判定勝ちするも、準決勝でダン・ヘンダーソンにKO負け。また、ダンとの試合で顎を骨折し、ボルトで固定する手術を受けた。 2006年6月4日、『PRIDE 武士道 -其の十一- ウェルター級グランプリ 2006 開幕戦』では、ヘクター・ロンバードを翻弄し、判定勝利を飾る。2回戦となる8月26日の『PRIDE 武士道 -其の十二- ウェルター級グランプリ 2006 2nd ROUND』では、ゲガール・ムサシと対戦し一本勝ち、準決勝に駒を進めた。 2006年11月5日、『PRIDE 武士道 -其の十三- ウェルター級グランプリ 2006 決勝戦』では、準決勝でデニス・カーンと対戦し、判定負け。 2006年12月31日、『PRIDE 男祭り 2006』で、2001年12月の対戦以来5年ぶりとなる近藤有己とのリベンジマッチを行う。序盤にパンチを放った際に右手を骨折してしまい右手がほとんど使えない状態となるが、近藤に有効打を許さず、判定勝ち。リベンジを果たした。しかし、2005年のダン戦で埋め込まれていたボルト除去およびに視力矯正の手術を受けるため、戦線離脱を余儀なくされた。 UFC [編集] 2007年11月17日、UFC初参戦となったUFC 78でタムダン・マクローリーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちし、白星デビューとなった。また、サブミッション・オブ・ザ・ナイトに選出された。 2008年3月1日、UFC 82でジョン・フィッチと対戦予定であったが、1月に右手を負傷し出場をキャンセル[2]。2月上旬に手術を行った。10月18日のUFC 89にて復帰し、ダン・ハーディーと接戦するも1-2の僅差で判定負け[2]。3RにはUFCで禁止されているグラウンド状態の相手への打撃を行ったことで減点された。 2009年1月31日、UFC 94でジョン・フィッチと対戦し、大差(30-27、30-27、30-26)の判定負けを喫し、UFC2連敗となった[3]。この日の入場シーンではKEI山宮・大迫元喜と共に、矢島美容室のコスプレを披露した。この大会を最後にUFCとの契約が終了した。 戦極(SRC) [編集] 2009年6月9日、都内ホテルで行われた記者会見で、戦極に参戦することを表明した[4]。 2009年8月2日、戦極初参戦となった戦極 〜第九陣〜でダン・ホーンバックルと対戦し、3Rに右ハイキックを顔面に受け失神KO負けを喫した。そのまま担架で病院に運ばれるほどのダメージであった。 2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで一本勝ちを収めた。入場時には氣志團のコスプレをして、綾小路翔を従え『One Night Carnival』で入場した。 2010年3月7日、SRC12でディエゴ・ゴンザレスと対戦し、判定勝ち。 2010年7月3日、自身のブログにて同日付けでGRABAKAを退団したことを発表した[5]。 2010年8月22日、フリー初戦およびライト級転向後初戦となったSRC14でジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、0-3の判定負けを喫した[6]。 2010年12月30日の戦極 Soul of Fightに出場予定であったが、練習中に右足小指を骨折し欠場となった[7]。 人物 [編集] 相手のパンチをかわす高いディフェンス技術が最大の武器。巧みに相手との間合いをとり、試合時間をフル活用して相手をじわじわと追い詰めるライツアウト(Lights out)戦法で身体能力の高い外国人選手とも互角に渡り合う。身体能力の差を埋めるこの戦法を「弱者の戦略」と自称している。 以前は「判定上等」がモットーの「郷野流」と自称していたが徐々に考え方が変わってきているようで、最近では「魅せる」ことに重点を置いている。 親交のあるDJ OZMAを模したDJ GOZMAを名乗って派手な入場パフォーマンスを行っている。 試合後のマイクパフォーマンスには定評がある。本人が書いているブログも人気である。 試合でのダメージのため、全身麻酔の手術を複数回受けている。 1歳の頃、小児癌(肝芽腫)にかかり[8]、当時の生存率がほぼ0%という状況の中で大手術を受け奇跡の生還を果たしている(右の腹部に手術跡が残っている)。そういった肉体的ハンデを乗り越えて、強さの象徴である総合格闘技で成功を収めている。そして現在、同じ病気にかかっている子供の会に参加したり、会の親子を試合に招待し、子供のヒーローになりたいと思っている。 ボクシング世界王者ロイ・ジョーンズ・ジュニアを尊敬しており、ファイトスタイルの参考にしている。試合時のトランクス前部に「ROY JONES JR」の文字を入れていたこともある[9]。トランクス後部にはジェームズ・トニーのニックネームである「LIGHTS OUT」の文字を入れていた。 戦績 [編集] 総合格闘技 [編集] 総合格闘技 戦績 55 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 32 勝 7 8 16 1 7 0 16 敗 4 4 8 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × ジャダンバ・ナラントンガラグ 5分3R終了 判定0-3 SRC14 2010年8月22日 ○ ディエゴ・ゴンザレス 5分3R終了 判定3-0 SRC12 2010年3月7日 ○ 桜井"マッハ"速人 2R 3:56 腕ひしぎ逆十字固め Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 【DREAM vs SRC 対抗戦】 2009年12月31日 ○ 辛拉麺 5分3R終了 判定3-0 戦極 〜第十一陣〜 2009年11月7日 × ダン・ホーンバックル 3R 2:50 KO(右ハイキック) 戦極 〜第九陣〜 2009年8月2日 × ジョン・フィッチ 5分3R終了 判定0-3 UFC 94: St-Pierre vs. Penn 2 2009年1月31日 × ダン・ハーディー 5分3R終了 判定1-2 UFC 89: Bisping vs. Leben 2008年10月18日 ○ タムダン・マクローリー 2R 3:19 腕ひしぎ十字固め UFC 78: Validation 2007年11月17日 ○ 近藤有己 2R(10分/5分)終了 判定2-1 PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- 2006年12月31日 × デニス・カーン 2R(10分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 武士道 -其の十三- 【ウェルター級GP 準決勝】 2006年11月5日 ○ ゲガール・ムサシ 2R 4:17 腕ひしぎ十字固め PRIDE 武士道 -其の十二- 【ウェルター級GP 準々決勝】 2006年8月26日 ○ ヘクター・ロンバード 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の十一- 【ウェルター級GP 1回戦】 2006年6月4日 ○ キム・デウォン 1R 9:00 腕ひしぎ十字固め PRIDE 武士道 -其の拾- 2006年4月2日 × ダン・ヘンダーソン 1R 7:58 KO(右フック) PRIDE 武士道 -其の九- 【ウェルター級GP 準決勝】 2005年9月25日 ○ ダニエル・アカーシオ 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の九- 【ウェルター級GP 1回戦】 2005年9月25日 ○ クラウスレイ・グレイシー 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 武士道 -其の七- 2005年5月22日 ○ ティム・マッケンジー 2R 2:53 TKO(右フック) パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年11月7日 ○ 栗原強 1R 2:15 KO(右フック) パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年6月22日 × マウリシオ・ショーグン 1R 9:04 KO(左フック) PRIDE 武士道 -其の弐- 2004年2月15日 ○ ニルソン・デ・カストロ 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年11月30日 ○ 渡辺大介 2R 3:49 KO(左フック) パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年10月31日 ○ ニルソン・デ・カストロ 1R 0:29 反則失格(ローブロー) パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR旗揚げ 10周年記念大会 2003年8月31日 ○ フラービオ・モウラ 5分2R終了 判定2-0 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年5月18日 ○ クリストファー・ヘイズマン 5分2R+延長1R終了 判定2-0 THE BATTLE FIELD ZST 2 2003年3月9日 △ チェール・ソネン 5分2R終了 判定0-0 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年2月16日 ○ KEI山宮 3R 3:49 TKO(右ストレート) パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年12月21日 △ 渋谷修身 5分3R終了 判定0-0 パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年8月25日 ○ 窪田幸生 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年5月11日 × 近藤有己 3R 0:52 TKO(タオル投入) パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年12月1日 ○ KEI山宮 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年10月30日 △ ダスティン・デニス 5分3R終了 判定1-0 DEEP2001 in YOKOHAMA 2001年8月18日 ○ 渡辺大介 2R 0:52 TKO(タオル投入) パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年6月26日 △ ムリーロ・ニンジャ 5分3R終了 判定1-0 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年5月1日 ○ アイヴァン・サラヴェリー 1R 3:06 KO(右バックスピンキック) 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年1月19日 ○ 須田匡昇 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 〜2000 SHOOTO〜 UM CAMINHO PARA O CAMPEAO チャンピオンへの道 2000年11月12日 ○ アンディ・ウォン 5分3R終了 判定3-0 修斗 R.E.A.D. 〜2000 SHOOTO〜 UM CAMINHO PARA O CAMPEAO チャンピオンへの道 2000年5月22日 △ ラリー・パパドポロス 5分3R終了 判定0-1 修斗 R.E.A.D. 〜2000 SHOOTO〜 UM CAMINHO PARA O CAMPEAO チャンピオンへの道 2000年1月14日 × ランス・ギブソン 5分3R終了 判定0-2 SuperBrawl 13 1999年9月7日 × マット・ヒューズ 5分3R終了 判定0-3 修斗 the Renaxis 1999 10years Anniversary 1999年5月29日 △ マルコス・シウバ 5分3R終了 判定1-0 修斗 the Renaxis 1999 Devilock Fighters 1999年1月15日 ○ アドリアーノ・デ・スーザ 1R 2:46 腕ひしぎ十字固め 修斗 1998年11月27日 ○ マチュー・ロッカ 1R 3:12 腕ひしぎ十字固め 修斗 Shoot the Shooto XX 1998年4月26日 × ラリー・パパドポロス 5分3R終了 判定1-2 修斗 1997年10月12日 △ 中尾受太郎 5分3R終了 判定0-1 修斗 1997年6月25日 ○ 長野常道 3分5R終了 判定3-0 大道塾 THE WARS IV 【修斗公式戦】 1997年3月11日 ○ 藤原正人 3分4R終了 判定3-0 修斗 1997年1月18日 × 草柳和宏 4R 2:52 腕ひしぎ十字固め 修斗 1996年10月4日 ○ 須田匡昇 4R 0:33 チョークスリーパー フリーファイト川崎 1996年7月28日 × トッド・ビョーナサン 3R 1:12 腕ひしぎ十字固め 修斗 1996年5月7日 × 村上一成 3分2R終了 判定 トーナメント・オブ・J '96 【2回戦】 1996年3月30日 ○ 割田康士 1R 0:54 アキレス腱固め トーナメント・オブ・J '96 【1回戦】 1996年3月30日 ○ 土居龍晴 3分2R終了 判定2-0 大道塾 THE WARS III 【総合格闘技特別ルール】 1996年2月17日 × イーゲン井上 1R 1:33 腕ひしぎ十字固め トーナメント・オブ・J '95 【2回戦】 1995年10月13日 ○ 村上一成 1R 2:25 KO(右ハイキック) トーナメント・オブ・J '95 【1回戦】 1995年10月13日 × 奥田康則 1R 1:51 アンクルホールド トーナメント・オブ・J '94 【1回戦】 1994年4月23日 キックボクシング [編集] 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × 桜木裕司 2R 1:17 KO(右ストレート) パンクラス PANCRASE 2005 SPIRAL TOUR 【全日本キックボクシング連盟公式試合】 2005年3月6日 ○ 西田和嗣 4R 1:33 KO(右ストレート) 全日本キックボクシング連盟「MOVING」 【全日本ヘビー級タイトルマッチ】 2005年2月6日 ○ コンボイ山下 3分3R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「SURVIVOR」 【全日本ヘビー級王座挑戦者決定戦】 2005年1月4日 獲得タイトル [編集] 第3代全日本キックボクシング連盟ヘビー級王座 脚注 [編集] ^ [パンクラス] 12.21 有明:郷野が爆弾発言。國奥×マーコート決着 BoutReview 2002年12月21日 ^ a b 【UFC89】郷野が11ヵ月ぶり復帰戦で惜敗 MMAPLANET 2008年10月19日 ^ 【UFC94】フィッチ、大差の判定で郷野から勝利 MMAPLANET 2009年2月1日 ^ ヒョードル破ったイワノフが藤田と対戦。郷野初参戦 BoutReview 2009年6月9日 ^ ご報告 オフィシャルブログ 2010年7月3日 ^ 【SRC戦極】三崎和雄、激闘の末に王者サンチアゴに敗れる…郷野もまさかの敗北 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月22日 ^ 【SRC戦極】12・30藤井惠が参戦、藤野恵実と対戦!長南は郷野をKOした強豪と激突 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月20日 ^ 肝芽腫の会 公式ブログ 2009年12月6日 ^ [全日本キック] 郷野、敗因は『久江酔い運転』。タイトル戦を受諾 BoutReview 2005年3月11日 PR |
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小池 秀信(こいけ ひでのぶ、男性、1976年5月11日 - )は、日本の総合格闘家。北海道釧路市出身。GRABAKA所属。
バックボーンは柔道。 目次 [非表示] 1 来歴 2 戦績 2.1 プロ総合格闘技 2.2 アマチュア総合格闘技 3 関連項目 4 外部リンク 来歴 [編集] 1998年8月23日、第5回全日本アマチュア修斗選手権のライトヘビー級(5名参加)に出場。決勝で桜井隆多にKO負けし、準優勝となった。 その後、キングダム・エルガイツ、ZST、DEMOLITIONなどに参戦。 2004年1月25日、パンクラス主催の第1回プロ・アマオープン・キャッチレスリング・トーナメント80kg未満級(17名参加)に出場。決勝で北岡悟に一本負けし、準優勝となった。 2004年11月26日、パンクラス本戦に初出場し、石毛大蔵にTKO負け。 2006年8月26日、MARSでエディ・アルバレスと対戦し、パウンドでTKO負け。大会開催10日前の緊急オファーであった。 戦績 [編集] プロ総合格闘技 [編集] 総合格闘技 戦績 24 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 9 勝 1 5 3 0 5 0 10 敗 6 0 4 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 △ 大沼啓介 5分2R終了 ドロー ZST.22 〜旗揚げ7周年記念大会〜 2009年11月23日 × 山本勇気 5分2R終了 判定 ZST.21 【ジェネシスウェルター級トーナメント2009 決勝】 2009年9月21日 ○ 植原雄太 1R 2:12 KO(左フック) ZST SWAT! 28 【ジェネシスウェルター級トーナメント2009 準決勝】 2009年8月2日 ○ 大櫃達也 5分2R終了 判定3-0 ZST SWAT! 27 【ジェネシスウェルター級トーナメント2009 1回戦】 2009年7月5日 △ 濱岸正幸 5分2R終了 ドロー ZST SWAT! 25 2009年6月7日 × 九十九優作 1R終了時 TKO(タオル投入:左膝負傷) DEEP 39 IMPACT 2008年12月10日 ○ 佐久間博彰 5分2R終了 判定3-0 DEEP GLOVE 3 2008年9月20日 △ 石中暢 3分3R終了 ドロー POWERGATE カイザーグランプリ ファイナル 2008年6月22日 × 吉岡哲也 5分2R終了 判定1-2 club DEEP 東京 & フューチャーキングトーナメント全国大会 【76kg以下級 決勝】 2008年1月14日 ○ 徳田順三 5分2R終了 判定2-1 club DEEP 東京 & フューチャーキングトーナメント全国大会 【76kg以下級 準決勝】 2008年1月14日 × ベ・ミョンホ 5分3R終了 判定0-3 MARS 07 "TORNADO RETURNS" 2007年4月15日 × キム・ドンヒョン 2R 4:33 KO(左フック) DEEP 28 IMPACT 2007年2月16日 × アニマル 1R 0:57 KO(パウンド) REALRHYTHM 5th STAGE 2006年11月18日 × エディ・アルバレス 1R 1:26 TKO(パウンド) MARS 04 New Deal 2006年8月26日 ○ 中台宣 2R 2:43 三角絞め club DEEP 東京 2006年7月8日 ○ ビクトル・アポストル 1R 2:11 腕ひしぎ十字固め マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「士道館新春正月興行 〜SURPRISING-1〜」 【ヤングファイト / 総合格闘技ルール】 2006年1月20日 × 太田洋平 5分2R終了 判定0-2 DEMOLITION 2005年10月27日 ○ 竹縄元博 1R 0:55 三角絞め パンクラス Z 2005年9月3日 ○ 市川直人 1R 4:32 三角絞め ZST SWAT! 02 2005年7月24日 △ 伊藤有起 5分2R終了 時間切れ ZST SWAT! 01 2005年4月17日 ○ ステファン・ゲバ 1R 3:38 腕ひしぎ十字固め マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟・士道館 "DETERMINATION 1st."【パンクラスルール】 2005年1月30日 × 石毛大蔵 1R 4:22 TKO(パウンド) パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 2004年11月26日 △ 太田洋平 5分2R終了 判定0-0 DEMOLITION 2004年5月21日 × 野沢洋之 1R 1:37 TKO(パウンド) プレミアムチャレンジ 【プレマッチ・スタンダードルール】 2002年5月6日 アマチュア総合格闘技 [編集] 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 ○ ビクトル・アポストル 1R 腕ひしぎ十字固め マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 "士道館新春正月興行 〜SURPRISING-1〜 【ヤングファイト・総合格闘技ルール】 2006年1月22日 △ 高本裕和 5分2R終了 ドロー パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 【パンクラスゲート】 2005年3月6日 ○ 西村良太 1R 4:23 腕ひしぎ十字固め パンクラス PANCRASE 2004 BRAVE TOUR 【パンクラスゲート】 2004年4月23日 △ 鈴木淑達 5分1R終了 ドロー THE BATTLE FIELD ZST 2【ジェネシスバウト】 2003年3月9日 △ 長谷川秀彦 5分2R終了 ドロー パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 【パンクラスゲート】 2002年10月29日 ○ 畑岡崇 3分2R終了 ポイント47-43 第1回東日本アマチュア修斗フレッシュマントーナメント 【ミドル級ワンマッチ】 2001年4月15日 |
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ヴァグネイ・ファビアーノ(Wagnney Fabiano、男性、1975年7月14日 - )は、ブラジルの総合格闘家、ブラジリアン柔術家。リオデジャネイロ州出身。ノヴァウニオン所属。元IFL世界フェザー級王者。
実弟レオナルド・サントスもブラジリアン柔術家、総合格闘家である。 目次 [非表示] 1 来歴 2 戦績 3 獲得タイトル 4 脚注 5 関連項目 6 外部リンク 来歴 [編集] 幼少期よりブラジリアン柔術を学び、ノヴァウニオン創設者であるウェンデル・アレクサンダーとアンドレ・ペデネイラスより黒帯を授与される[1]。 1998年、ムンジアル黒帯ペナ級(-67kg)で3位に入賞する。 2000年6月2日、総合格闘技の試合に出場し、UCC世界ライト級王座を獲得した。 2004年5月22日、TKOでトミー・リーと対戦、一本勝ちを収めスーパーライト級王座を奪取する。 2007年からはIFLに出場、12月29日にはL.C.デイヴィスに一本勝ちし、フェザー級王座を戴冠した。 2008年4月4日、IFLでシャド・ライアリー相手に初防衛に成功した。その後IFLの活動停止に伴いWECと契約、12月3日のWEC 37で元修斗世界ライト級王者の田村彰敏と対戦、肩固めで一本勝ちを収めた。 2009年4月5日、WEC 40でフレジソン・パイシャオンに判定勝ち。10月10日のWEC 43ではマッケンズ・セメジャーに三角絞めで自身初の一本負けを喫した。 2010年1月10日、WEC 46でクリント・ゴドフリーと対戦し、判定勝ち。 戦績 [編集] 総合格闘技 戦績 16 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 14 勝 2 7 5 0 0 0 2 敗 0 1 1 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 ○ フランク・ゴメス 5分3R終了 判定3-0 WEC 49: Varner vs. Shalorus 2010年6月20日 ○ クリント・ゴドフリー 5分3R終了 判定3-0 WEC 46: Varner vs. Henderson 2010年1月10日 × マッケンズ・セメジャー 1R 2:14 三角絞め WEC 43: Cerrone vs. Henderson 2009年10月10日 ○ フレジソン・パイシャオン 5分3R終了 判定3-0 WEC 40: Torres vs. Mizugaki 2009年4月5日 ○ 田村彰敏 3R 4:48 肩固め WEC 37: Torres vs. Tapia 2008年12月3日 ○ シャド・ライアリー 1R 0:37 KO(パンチ) IFL: New Jersey 【IFL世界フェザー級タイトルマッチ】 2008年4月4日 ○ L.C.デイヴィス 1R 3:38 腕ひしぎ十字固め IFL: World Grand Prix Finals 【IFL世界フェザー級王座決定戦】 2007年12月29日 ○ ジョン・ガンダーソン 2R 1:53 フロントチョーク IFL: World Grand Prix Semifinals 2007年11月3日 ○ エリック・オウィングス 1R 0:58 腕ひしぎ十字固め IFL: Las Vegas 2007年6月16日 ○ カム・ウォード 1R 3:24 肩固め IFL: Connecticut 2007年4月13日 ○ イアン・ラヴランド 1R 0:59 肩固め IFL: Atlanta 2007年2月23日 × ジェフ・カラン 5分3R終了 判定0-3 APEX: A Night Of Champions 【APEX世界フェザー級王座決定戦】 2006年10月14日 ○ バオ・クァーチ 1R 4:50 KO APEX: Evolution 2006年6月10日 ○ マット・フィヨルディローザ 5分3R終了 判定3-0 Freedom Fight: Canada vs USA 2006年1月14日 ○ トミー・リー 1R 2:46 肩固め TKO 16: Infernal 【TKO世界スーパーライト級タイトルマッチ】 2004年5月22日 ○ アリ・ネストール・チャールズ 10分2R終了 判定3-0 Universal Combat Challenge 1: The New Beginning 【UCC世界ライト級タイトルマッチ】 2000年6月2日 獲得タイトル [編集] 初代IFL世界フェザー級王座(2007年) TKO世界スーパーライト級王座(2004年) UCC世界ライト級王座(2000年) 世界柔術選手権(ムンジアル)黒帯ペナ級(-67kg)3位(1998年) 脚注 [編集] ^ 「世界がMMAを待っている このエスニック・ファイターを見逃すな!」 『GONKAKU』No.13、2008年6月号、イーストプレス、p.136 |
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├─≠ョ─ヵラス ニンジャ
├─≠ョ─ヵラス 目立った活躍はなかったがTVマッチに出た際、解説のジャイアント馬場が「この選手は基礎がしっかり出来ていますね」などとべた褒めしており、新日練習生だった片鱗を見せた。 |
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ビル・ミラー(Bill Miller)ことウィリアム・M・ミラー(William M. Miller 、1927年6月5日 - 1997年3月24日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オハイオ州フリーモント出身のドイツ系アメリカ人。
獣医師の免許を有していたことから「ドクター」の異名を持ち、覆面レスラーのドクターX、ミスターX、ミスターMに変身しての活動でも知られる。第5代AWA世界ヘビー級王者(ミスターMとして載冠)。実弟のエド・ミラーとダン・ミラーも元プロレスラーである。 目次 [非表示] 1 来歴 2 得意技 3 獲得タイトル 4 脚注 5 外部リンク 来歴 [編集] オハイオ州立大学時代はスポーツ万能ぶりを発揮し、カレッジフットボールではローズボウルで活躍[1]。レスリングではビッグ・テン・カンファレンスで1950年と1951年の2度に渡ってヘビー級チャンピオンとなり、1951年にはNCAAのオールアメリカンに選出された[2]。学業においては獣医学を学び[2][3]、獣医師の資格を取得したが[1]、プロモーターのアル・ハフトにスカウトされ[3]、大学卒業後の1951年にプロレスラーとしてデビュー[1][2]。 地元オハイオにてハフトが主宰していたMWA(Midwest Wrestling Association)を主戦場に、1953年から1955年にかけて、ミッドウエスト・ヘビー級王座および改称版のイースタン・ステーツ・ヘビー級王座をバディ・ロジャースと争う[4]。1956年2月にはディック・ハットンを破り、オハイオ・ヘビー級王座にも戴冠した[5]。 1956年下期からは弟のエド・ミラーとタッグチームを結成し、アメリカ西海岸からカナダのトロントまで、NWAの各テリトリーを転戦。同年8月にはサンフランシスコにてボボ・ブラジル&エンリキ・トーレスから同地区認定のNWA世界タッグ王座を奪取している[6]。 エドとのタッグ解消後は覆面レスラーのドクターX(Dr. X)に変身し、ネブラスカ州オマハにて1959年10月3日にウイルバー・スナイダー、1961年2月4日にドン・レオ・ジョナサンを破り、俗に「オマハ版」といわれるAWA世界ヘビー級王座を獲得[7]。その後、ミネソタ州のAWAでミスターM(Mr. M)に再変身し、1962年1月9日、バーン・ガニアを下してミネアポリス版のAWA世界ヘビー級王座にも戴冠している(両AWA王座は1963年にガニアが統一)[8]。 この間の1961年5月、ミスターX(Mr. X)のリングネームで日本プロレスに初来日。『第3回ワールド大リーグ戦』に出場し、力道山と決勝を争った。7月21日には田園コロシアムにて力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦している[3]。同リーグ戦にはカール・ゴッチもカール・クラウザー名義で参戦していたが、ミラーとゴッチは1962年9月、オハイオ州コロンバスの会場控室においてバディ・ロジャースとトラブルを起こしている[1][9]。 1965年からは素顔のドクター・ビル・ミラー(Dr. Bill Miller)としてニューヨークのWWWFに登場[10]。7月12日・8月2日・8月23日のマディソン・スクエア・ガーデン定期戦において、ブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に3カ月連続で挑戦している[11]。WWWFでは弟のダン・ミラーとのタッグでも活動し、1965年8月5日にはゴリラ・モンスーン&カウボーイ・ビル・ワットからUSタッグ王座を奪取、翌1966年2月21日にジョニー・バレンタイン&トニー・パリシーに敗れるまで保持した[12]。 1968年1月、ミスターXの覆面を着けながらもビル・ミラー名義で日本プロレスの『新春チャンピオン・シリーズ』に再来日。1月8日の広島大会ではクラッシャー・リソワスキーと組んでBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)のインターナショナル・タッグ王座に挑戦する予定だったが、猪木が雪害のため広島入りできず欠場、タイトルは空位となり、馬場&吉村道明と王座争奪戦を行うも引き分ける[13]。2月3日の東京・大田区体育館大会にて改めてBI砲との争奪戦に臨むが敗退した[14]。 1968年はオーストラリア(ジム・バーネット主宰のWCW)にも遠征し、6月にキラー・コワルスキーとのコンビでIWA世界タッグ王座を奪取している[15]。1970年6月26日にはインディアナポリスのWWAにて、ディック・ザ・ブルーザーと組んでWWA世界タッグ王座も獲得した[16]。同年11月20日、ザ・クリムゾン・ナイト(The Crimson Knight)なるマスクマンとして、ミズーリ州セントルイスにてドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦するも敗退[17]、覆面を剥がされている[1]。 1971年2月、素顔のビッグ・ビル・ミラー(Big Bill Miller)として国際プロレスの『AWAビッグ・ファイト・シリーズ』に来日。3月4日の北九州市・小倉大会でサンダー杉山からIWA世界ヘビー級王座を奪取し、ベルトを海外に流出させるも、3カ月後の6月19日、ミネソタ州ダルースにてストロング小林に敗れて王座転落[18]。短命王者に終わったものの、小林が国プロの新エースとなるにあたっての橋渡し役を担った。国プロには1972年6月の『ビッグ・サマー・シリーズ』にも再来日し、IWA王者の小林に挑戦したがタイトル奪還は果たせなかった。同シリーズでは、バロン・シクルナをパートナーに小林&グレート草津のIWA世界タッグ王座にも挑戦している。 1973年6月にはキラー・カール・コックスやブル・ラモスらと共に全日本プロレスの『サマー・アクション・シリーズ』に参戦、これが最後の来日となった。1976年の現役引退後は地元のオハイオにて食肉検査官の職に就き[19]、後に獣医を開業した[2][3]。 1997年3月24日、ジムでのトレーニングを終えた後、心臓発作を起こして死去[1]。69歳没。同年、オハイオ州立大学では生前の彼の功績を称え、アスレチックの殿堂に迎えている[2]。 得意技 [編集] ネック・ハンギング・ツリー ジャイアント・スイング アルゼンチン・バックブリーカー ベアハッグ 獲得タイトル [編集] MWA ミッドウエスト・ヘビー級王座 / イースタン・ステーツ・ヘビー級王座:3回 オハイオ・ヘビー級王座:2回 オハイオ・タッグ王座:1回(w / スタン・ホレック) NWA NWA世界タッグ王座(デトロイト版):2回(w / ボボ・ブラジル、ダン・ミラー) NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / エド・ミラー) NWAパシフィック・コースト・タッグ王座:1回(w / エド・ミラー) NWAカナディアン・オープン・タッグ王座:1回(w / エド・ミラー) NWA北米タッグ王座(セントラル・ステーツ版):1回(w / ボブ・ガイゲル) AWA AWA世界ヘビー級王座:1回 AWA世界ヘビー級王座(オマハ版):2回 AWA USヘビー級王座:1回 WWWF WWWF USタッグ王座:1回(w / ダン・ミラー) その他 IWA世界ヘビー級王座(国際プロレス版):1回 IWA世界タッグ王座(オーストラリア版):1回(w / キラー・コワルスキー) WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):1回(w / ディック・ザ・ブルーザー) |
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