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【2025/05/13 13:25 】 |
ダンプ松本
ダンプ松本(ダンプまつもと、1960年11月11日 - )は、日本の女子プロレスラー。タレント。本名・松本 香(まつもと かおる)。
身長163cm、体重91kg、血液型B型。埼玉県熊谷市出身。
両親に家を建ててあげたいという思いから、女子プロレスラーになることを志す。デビュー後の1984年、一番弟子のブル中野らとヒールのタッグチーム『極悪同盟』を結成。翌年にフジテレビで放送されていた『全日本女子プロレス中継』でヒールにもかかわらず人気を博し、クラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥と長与千種が当時結成していたコンビ名)との抗争は女子プロレスを大いに盛り上げた。長与千種とは2度にわたり、敗者髪切りデスマッチを行った。
目次 [非表示]
1 所属
2 経歴
3 エピソード
4 テレビ
5 ドラマ
6 CM
7 ゲーム
8 書籍
9 関連人物
10 関連項目
11 外部リンク
所属 [編集]

全日本女子プロレス(1980年 - 1988年)
フリー(2003年 - )
経歴 [編集]

1980年 - 前年の全日本女子プロレス新人オーディションに合格していたが、プロテストに通らず、一時は全女の営業車の運転手をしていた。その後、選手数補強のためようやくプロデビュー。デビュー前から元々体格が良く、ベビーフェイスよりもヒールレスラーになったほうが自分には似合っているし、それならベビーフェイスのファンにとことん嫌われる程にヒールのトップになりたいと当時から考えていたそうで、ダンプ本人の意向を会社に伝えてすぐに悪役軍団入りする。本人はファン時代、ビューティ・ペアのジャッキー佐藤の熱狂的な信者だった。ジャッキーが闘病中には頻繁に見舞いに訪れていたそうで、逝去後には『ダンプは泣き虫で、すぐに大泣きしてうるさいから私の見舞いに来るな!!とよく冗談ながらにジャッキーさんに言われました』と涙ながらにインタビューで語っていた場面が、当時のワイドショーなどで放映された。
1983年 - ブラック・デビルの一員として、(他のメンバーはデビル雅美、タランチェラ、マスクド・ユウ、山崎五紀など)数年間全く芽の出ない前座悪役レスラーの地位に甘んじていたが、1月地元の熊谷市民体育館でライオネス飛鳥の持つ全日本選手権に挑戦。飛鳥の負傷箇所である膝を徹底的に苛め抜き、TKO勝ち。ベルトを強奪する。その後立野記代、山崎五紀を相手に2度の王座防衛に成功するが、6月大宮スケートセンターでリターン・マッチに臨んだライオネス飛鳥にベルトを奪い返される。暮れのフジテレビ杯争奪タッグトーナメントでは、新人の小倉由美と組んで出場。予想通り1回戦で敗退。
1984年 - タランチェラの引退、デビル雅美、山崎五紀のベビーフェイス化を機にデビル軍団と袂を分かち、マスクド・ユウ(のちのクレーン・ユウ)と極悪同盟を結成。その直前に本名の松本香から、ダンプ松本へと改名し、髪を金に染め上げ、顔面に派手なペイントを施すスタイルを確立。前年から人気・実力が急上昇していたクラッシュギャルズの対抗馬として名乗りを上げる。レフェリーの阿部四郎と結託し、反則攻撃の「黙認」やクラッシュギャルズに対する超高速フォールカウントなどの贔屓レフェリングのもとに凶器攻撃を多用する徹底的なヒールファイトを展開し、クラッシュファンの少女たちから、憎悪を一身に浴びる存在に。両チームのわかりやすい戦いの図式が熱狂を呼び、女子プロレスは全国的なブームへと発展していく。極悪同盟のメンバーは、ブル中野・コンドル斉藤・ドリル仲前・影かほるなど。
1988年 - 引退し、タレント、女優として芸能活動を行う。また松本と同期の女子プロレスラーだった大森ゆかりと桃色豚隊(ピンクトントン)というユニットを組み、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」を出す。
1998年 - 全日本女子OG興行(「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」 1998年8月14日 川崎市体育館)におけるエキシビションマッチで、一日限りの限定復帰。
2003年 - 本物のヒールを復活させるためとして、新日本プロレスの「魔界倶楽部」に共鳴する形で「極悪倶楽部」を結成。吉本女子プロレスJd'でマネージャーとして現場復帰。その後、古巣全日本女子にて現役選手に復帰、「極悪同盟」を再結成。
2004年 - シャーク土屋の呼びかけに応えてGAEA JAPANに出現し、タッグ戦にてクラッシュ2000(元・クラッシュギャルズ)と対戦。
2006年 - 初の自主興行「極悪血祭り」を新宿FACEで開催。毎回好評で、現在まで定期的に開催されている。
現在もレスラーと芸能活動を両立しながら活躍している。ダイエットにも奮闘中である。
エピソード [編集]

リングネームの「ダンプ」は、本名時代のファイトを観たある客が「あいつ、ダンプみてえだ!!」と口走ったことに由来するとされる。全日本女子プロレスの松永高司会長は、このエピソードを引き合いに出して「スターはお客さんがつくってくれるんですよ」と語ったことがある。
得意技はラリアット。そのパワーを利して喉元にぶち当てる一撃は強烈で、相手が空中で一回転したこともあった。
悪役レスラーとして活躍していた時、アンチファンが実家に押しかけ、「ダンプ出て来い!」と玄関を叩きながら大声で叫ぶ、玄関先にダンプを中傷する張り紙を貼る、窓ガラスを割られる、といった嫌がらせを受けたことが何度もあり、母親に怖い思いをさせてしまったことがあり、そのため一時期悪役レスラーを辞めようかとも考えたが、その当時はまだギャラも少なく貧しかったので、辛い中でも必死で頑張ったという。デビューから丸5年後には、念願の新築一軒家を購入して両親にプレゼントしている。
母親は、リングでの凶行が演技だと知っていても、自分の娘が人様の娘をいたぶる姿に抵抗を感じていたという(スポーツニッポンのコラム「母」でダンプが書いている)。母親が試合会場へ観戦に訪れていた時には、毎回怪我をさせた対戦相手の元に謝罪に訪れていたという(ダンプ自身がテレビ番組で話していた)。
悪党人気が高まった頃、「たこやきラーメン」(日清食品)のCMに出演。CM中でのセリフ「みんな最初は分かってくれないんだ」「マジだぜ!」が話題になる。CMは複数のバージョンが作られたが、その1本では冒頭で、ノーメイクの素顔で明るく「ラーメンに、たこやきが入ったのよ!」と商品をアピールする場面もあり、極悪同盟以前のダンプを知らない視聴者の度肝を抜いた。しかし商品の売れ行きは芳しくなかったため、あまり長く売られなかった。
「クイズ!ヘキサゴン」で、極めて高い正解率を出している。
試合中の奇抜なメイクは、童顔でえくぼが出て可愛く見える事を避ける為で、キッスのメイクを参考にした。
リング上でダンプがよく手にしていた凶器は当初は金属チェーンだったが、振り回した時に自分に当たりそれがとても痛かった為に竹刀に替えた。
試合に呼ばれたゲストタレントを威嚇し絡むのが定番だった。しかしゲストの一人ガッツ石松がそれに対して本気で怒り、殴らんばかりに向かってきた時には内心怖くて逃げ出したかったが、テレビカメラの前だったので平静を装ったという。
試合前の入場時や試合後に控え室に引き上げる際、テレビカメラマンを竹刀で頻繁に攻撃していたのも定番である。その先駆けとなったのは、阿部四郎のカメラマン攻撃。
「ドキッ!!まるごと水着女だらけの水泳大会」では、毎回クライマックスの騎馬戦でいわゆる「ポロリ要員(AV女優など)」のビキニのブラを剥ぎ取るのがお約束だった。1989年の大会では「今回はアイドル(の水着)をひん剥く」と宣言した。もっとも、実際にはダンプを乗せた騎馬が近づくだけでアイドル達は逃げ回り、脱がされたのはいつも通りのポロリ要員だった。高所恐怖症で高さ10mの飛び込み台からプールへ飛び込めず号泣したことがある。
リング上ではヒール役に徹するが、リングを降りれば、素はとても涙もろくて人情味溢れる性格であり人望も厚い。全女OGや極悪同盟時代のメンバー、レスラー仲間の他にも芸能人、一般人の親友や友人も数多く交友関係が幅広い。コンドルの証言によればベビーフェイス、ヒールと分け隔てなく後輩たちの面倒見がとても良かったそうで、全女所属時は極悪同盟メンバーだけでなく、ベビーフェース側にもダンプを慕う者が多かったという。現在でも全女時代の先輩、同期、後輩のOGのみんなととても仲が良いとダンプ自身語っているが、中でも特に先輩のジャンボ堀や同期の大森ゆかり、後輩の工藤めぐみなどとは公私共に親交が深い。後輩の山崎五紀などからも、『ダンプちゃん』とニックネームで呼ばれている。
ブルやコンドル、北斗晶などが、先輩のしごきに耐えられず地方興行中に脱走したことがあった。全女の寮へ戻った彼女たちが、先輩たちに見つからないように隠れていたところ、ダンプに見つかってしまった。叱られると思い言葉を失う彼女たちにダンプは「おかえり。心配しなくても大丈夫だからね」と優しく声をかけ、思わず抱き合って泣いてしまったという。リング外におけるダンプの人情味がある人柄を示すエピソードといえる。
北斗のプロレス雑誌でのインタビュー証言によれば、全女絶頂期にはデビル雅美とダンプの2大派閥があり、北斗自身はダンプ派に属していた。ダンプは若手時代の北斗をとても可愛がり、北斗も姉のように慕っていたという。
デビュー前から中村雅俊の大ファンで中村の事を『雅俊さま』と呼んでいて、全女時代に対談で初めて中村本人に逢えたときには、感動して感極まり号泣してしまった、と本人がテレビ番組で語った。自宅にはサイン入りの2ショット写真のパネルが飾られている。
家族のために家計を助けたいという思いでレスラーになったダンプだが、後年大森ゆかりとのインタビューの中で、彼女の母親は、怪我などの危険が伴うため、プロレスラーになることだけは以前から大反対だったと告白している(反対に大森の両親は、大森が家の米袋があっという間に無くなるほどの大食いだったため大賛成だったという)。
凶器を多用した試合内容の反面、危険度の高い技の使用を控えている。プラム麻里子の試合中の事故の際、マスコミに対して「最近危険な技が増えてきていて、いつも危ないと思うことがある。いくら体は鍛えれても頭だけは鍛えることができない」と涙ながらに応えていた。
テレビ [編集]

オレたちひょうきん族(フジテレビ)
オールナイトフジ延長戦(1988年、フジテレビ)
徹子の部屋(テレビ朝日)
笑っていいとも! テレフォンショッキング※ゲスト(フジテレビ)
一枚の写真(フジテレビ)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ)
ゆうどきネットワーク(NHK)
松本伊代のキラキラ80's(MONDO21)
激変!ミラクルチェンジ(TBS) (2010年11月17日) - ダイエットに挑戦。約3ヶ月で115kg→91kgの減量に成功。
ドラマ [編集]

毎度おさわがせします(1985年1月 - 1985年3月TBS)
夏・体験物語(1985年8月 - 1985年9月、TBS)
毎度おさわがせしますII(1985年12月 - 1986年3月、TBS)
夏・体験物語II(1986年7月 - 1986年10月、TBS)
結婚してシマッタ!(1988年、TBS)
木曜ゴールデンドラマ「マルタの女」(1)(2)(1988年、1989年、YTV)
水曜グランドロマン「懲りない女たち(1)」(1988年、NTV)
明日はアタシの風が吹く(1988年、NTV)
いけない女子高物語(1990年、NTV)
社長になった若大将(1992年、TBS)
CM [編集]

日清食品 「タコヤキラーメン」
ラーメンの具として、たこ焼き3個が入っている。
アルペン 松本典子と共演
ジュピター宝飾(東海地区ローカル)
ゲーム [編集]

セガ「極悪同盟ダンプ松本」
アーケード向け及びセガ・マークIII用のプロレスゲーム。
書籍 [編集]

「ダンプ松本のマジだぜ!」集英社 (1986年1月)
「なんたって乙女の底力」スコラ(1988年4月)大森友伽里との共著
「私じゃダメかい!!」ビクター音楽産業 (1988年7月)
「どんとこい芸能界!―極悪ダンプの芸能界毒舌言いたい放題! 」日本文芸社 (1989年5月)
「おかあちゃん!」主婦と生活社 (1991年5月)
「長女はつらいよ―だけど、元気もりもり」同文書院 (1994年2月)
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【2011/01/03 01:04 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
高橋奈苗
高橋 奈苗(たかはし ななえ、1978年12月23日 - )は、日本の女子プロレスラー。スターダムのエース。埼玉県川口市出身。
目次 [非表示]
1 所属
2 経歴
3 得意技
4 人物
5 タイトル歴
6 入場テーマ曲
7 脚注
8 外部リンク
所属 [編集]

団体
全日本女子プロレス(1996年 - 2005年)
フリー(2005年 - 2006年)
CHICK FIGHTS SUN(プロレスリングSUN)(2006年 - 2008年)
フリー(2008年 - 2010年)
スターダム(2011年 - )
ユニット
パッション・レッド(2008年 - )
経歴 [編集]

1996年
7月14日、後楽園ホールにおいて、対中西百重戦でデビュー。
2000年
つんくプロデュース「キッスの世界」のメンバーとしてCDデビュー。
「バクバクKiss」(2000年5月24日発売)
「Kiss of the world」(2001年9月15日発売)
2005年
1月7日、後楽園ホールにおいて、中西百重の引退試合の相手を務める。
4月17日、全日本女子プロレスの解散まで所属した。
2006年
10月1日、後楽園ホールにおいて女子プロレス団体「プロレスリングSUN」を旗揚げ。
2007年
5月13日、アメリカ合衆国でアメージング・コングを破りAWA世界女子王者を奪取するものの、翌14日にAWAによって剥奪された(AWAベルトは協会預り)。
5月27日、後楽園ホールにおいてウェズナー・ビュージック、アメージング・コングによる3WAYマッチで王座決定戦が行われ、試合形式も2人からフォールを奪わなければならない勝ち残り方式となったが、ビュージックがアメージング・コングを裏切りフォールを奪った。その後、ビュージックからもフォールを奪い、王座奪回に成功した。
2008年
4月24日、SUNのホームページ上で夏樹☆たいようと共にフリー転向を発表。華名も合流し、トリオユニット『パッション・レッド』結成。
10月4日、井上京子を破り、NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座を奪う。
2009年
1月10日、板橋グリーンホールにて、パッション・レッドとしての第一回自主興行を行う。
1月25日、道場を開設させたアイスリボンにレギュラー参戦を開始。
4月4日 - 4月12日、アイスリボン牧場みのりからの指名を受け、インターナショナル・リボンタッグ王者決定トーナメントに出場し優勝。自身3冠を達成。
5月3日、板橋グリーンホール、第二回パッション・レッド興行を開催。メインで行われたさくらえみとの2冠戦で脳震盪を起こし、TKO負けとなりNEO統一2冠王座から転落。
5月31日、息吹・後楽園大会で復帰。続いて6月6日にはアイスリボンにも参戦再開。
7月5日、NEOミッドサマー・タッグトーナメント'09優勝(パートナーはさくらえみ)
10月10日、NEO新木場大会、井上京子・松本浩代の持つNEO認定タッグ王座に挑戦し勝利(パートナーは華名)。
11月3・4日、古巣とも言うべきZERO1に夏樹らと参戦。
2010年
1月23日、高橋との不仲が取りざたされていた華名がパッション・レッドから離脱。NEO女子プロレスのリングで両者のシングルマッチが組まれるか否かに注目が集まるが、最終的に組まれず[1]、関係断絶状態となる。
2月20日、アイスリボン大阪ミナミムーヴオンアリーナ大会、パッション・レッド入りしたしもうま和美をパートナーに、インターナショナル・リボンタッグ選手権試合(vs松本浩代・星ハム子)に勝利し、王座奪還。
4月17日、アイスリボン板橋大会、松本都の持つトライアングルリボン王座に挑戦し勝利(もう一人はりほ)。2冠達成。
4月18日、JWP後楽園大会、JWP認定無差別級選手権試合で9度目の王座防衛を狙った春山香代子に挑戦し勝利。同タイトルを奪還し、アイスリボンの分を含め3冠を達成。エネミーによるJWP無差別王座奪取は豊田真奈美以来2人目。
7月2日、JWP3選手立会いの下、19時女子プロレスにおいてさくらとの「おんな巌流島2010」を戦い、勝利。[2]
7月18日、JWP後楽園大会で米山香織を相手に初防衛に挑むが、王座陥落。
7月26日、シュートボクシングの女子大会「Girls S-cup 2010」への参戦を表明[3]。8月29日、Girls S-cup 2010で一夜限りの復帰を果たした風香とSBスペシャルエキシビションマッチを行なった[4]。
9月7日、風香が2011年に旗揚げする新団体「スターダム」に、夏樹☆たいようと共に参加することを発表。[5]
9月25日、アイスリボン道場マッチにて、インターナショナルリボンタッグ王座を獲得(パートナーはさくらえみ)。
12月9日、プロレス大賞「女子プロレス大賞」を初受賞。
得意技 [編集]

バックドロップ
ナナラッカ
抱え方が違うファルコンアロー。
シャイニング膝アッパー
冷蔵庫爆弾
ダイビング・ボディ・プレス。
リバース冷蔵庫
背面式ダイビングセントーン。
アルバトロス
クリップラー・クロスフェイス(ナガタロックII)とほぼ同型。
延髄斬り
チャナラッカ☆百
人物 [編集]

以前の団体内でのキャッチフレーズは「極太あやや」。自分のことを「太った松浦亜弥です」と言ったこともある。
アイスリボン参戦時には、「初心に帰りたい」という意向から、一部の技(ナナラッカ等)を封印している。
情熱的な戦いをモットーとしており、パッションレッド結成以降はそれを「パッション」と表現している。
試合構成力に定評があり、デビュー戦や引退試合の相手として指名されることが多い。
タイトル歴 [編集]

全日本女子
第28代全日本シングル王座
第23&25代全日本タッグ王座(パートナーは中西百重)
第58&60代WWWA世界シングル王座
第109代WWWA世界タッグ王座(パートナーは中西百重)
第111代WWWA世界タッグ王座(パートナーは渡辺智子)
第113代WWWA世界タッグ王座(パートナーは中西百重)
第116代WWWA世界タッグ王座(パートナーは三田英津子)
第119代WWWA世界タッグ王座(パートナーは浜田文子)
第9代QOR王座
SUN
初代&3代&4代AWA世界女子王座
NEO
第20代NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
第11代NEO認定タッグ王座(パートナーは華名)
アイスリボン
第5代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーは牧場みのり)
第9代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーはしもうま和美)
第13代インターナショナル・リボンタッグ王座(パートナーはさくらえみ)
第3代トライアングルリボン王座
JWP
第14代JWP認定無差別級王座
入場テーマ曲 [編集]

「NANARACKA」 - 「バクバクKissの世界 -W EXPLOSION-」に収録。
脚注 [編集]

^ いざ、3・14川崎へ《22》高橋奈苗vs華名は発表前に中止 NEO女子プロレス社長のブログ 2010年3月4日
^ [女巌流島対決は、ノンタイトル戦ながら30分を超す熱戦に!JWP勢も見つめる中、奈苗がさくらに激勝! バトル・ニュース 2010年7月2日
^ [シュートボクシング] RENAと渡辺久江、Girls S-cup一回戦で激突 BoutReview 2010年7月27日
^ 【シュートボクシング】5Rの死闘の末、RENAが高橋藍を破りGirls S-cup二連覇を達成! GBR 2010年8月29日
^ 風香プロデュースの新団体『スターダム』に、奈苗や夏樹、ゆずポンらが参加!所属選手11名で来年1月旗揚げ! バトルニュース 2010年9月7日
【2011/01/03 00:59 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
├─≠ョ─ヵラスとマイティ井上
├─≠ョ─ヵラス あんこ型
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス 海外遠征時代にアンドレ・ザ・ジャイアント(モンスター・ロシモフ)と知り合い、アンドレの死まで親交を続けた
【2011/01/01 02:47 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
├─≠ョ─ヵラスとマイク佐藤
├─≠ョ─ヵラス 鎌固め
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス ちゃんこを食べながらプロレスをする世界でただ一人の選手でもある。
【2011/01/01 02:46 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
橋誠
橋 誠(はし まこと、男性、1977年5月10日 - )は、日本のプロレスラー。広島県福山市出身。
目次 [非表示]
1 来歴
2 人物
3 タイトル歴
4 主な得意技
5 入場テーマ曲
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
来歴 [編集]

如水館高校時代に柔道を経験。卒業後、建設会社に入社するもプロレスラーの夢を捨てきれず自らトレーニングを積んで新人プロレスラー募集に応募し、1997年に全日本プロレスに入団。1998年3月25日、対金丸義信戦でデビュー。2000年、全日本を退団しプロレスリング・ノアの旗揚げに参加。また同年、秋山準率いる軍団スターネス入りを果たした。
2002年4月7日、丸藤正道の持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦。試合中の丸藤の負傷により第4代GHCジュニアヘビー級王者となったが、「試合内容に納得がいかない」との理由から試合直後に返上した。
2005年7月18日、東京ドーム大会で師匠である秋山と組んで鈴木みのる&丸藤の持つGHCタッグ王座に挑戦したが敗れる。その後、秋山の薦めもあってスターネスを卒業したが、その後も私生活の世話など、秋山と行動を共にしており、秋山の運転手や秋山の個人会社が販売する「みんなの潤水」の配達もしている。
その後ヘビー級に転向したが、2009年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」[1]となり退団、フリーとなった。現在はレスラー活動と並行してフィットネスクラブに勤務している。
人物 [編集]

DRAGON GATEに所属する望月成晃と非常に顔が似ていることで知られる。お互いに意識はしていたものの、プロレス界に入って以降全く接点が無かった。2005年、望月が天龍源一郎のセコンドとしてノア大会に来場。結局顔を合わせることは無く終わるのかと思われたが、試合開始前の入場時、秋山が橋の首根っこを掴んで入場。そのままセコンドの望月のところに連れて行き、無理矢理橋の頭を下げさせた、秋山曰く「こんな奴と顔が似ているなんて、申し訳ない」とのこと、2010年2月7日のDRAGON GATE後楽園ホール大会に参戦し望月とタッグ結成し3月3日にはシングルマッチで対戦その後から望月のことを「兄貴」と呼ぶようになった。
2008年に川畑輝鎮の白GHCに挑戦した頃から「高尾山の天狗様からお告げを受ける」というギミックを使い始め、入場時には天狗のお面をつけるようになった。
秋山のブログではゴリラと合わせて「ゴリ天狗」と呼ばれている。
タイトル歴 [編集]

GHCジュニアヘビー級王座
第4代(防衛0回) - 試合内容に納得せず、直後に返上。
GHCハードコア王座
主な得意技 [編集]

天誅カラス落とし
白GHC奪取後のフィニッシュ・ホールド。相手の片足をクラッチしての垂直落下式リバースDDT。
ゴリさんだ(ゴリサンダー)
抱え式バックドロップの体勢から、相手を水平に180度回転させ開脚して叩きつける技。師匠である秋山のブルーサンダーを正式に譲られたもので同型。雪崩式でも放たれる。
しかし秋山に「パクリなのにカッコイイ名前を付けたから」という理由でゴリさんだに改名させられた。
ゴリラーマンズ・スープレックス
ブレーンバスターの準備体勢から、相手の左腿の外側を通して右手首を掴み後方に反り投げる、リストクラッチ式のフィッシャーマンズ・スープレックス。
ゴリラーマン・バスター
上記ゴリラーマンズ・スープレックスの垂直落下版。リストクラッチ式フィッシャーマンズ・バスター。
ゴリラーマン・ドライバー
ゴリラーマンズ・スープレックスと同じ体勢から抱え上げ、開脚しながら前方に落とす変形のみちのくドライバーII。クラッチを離さないため、相手は頭から垂直に落ちることになる。
ダイビング・ヘッドバット
コーナー上からジャンプし、マットや場外に倒れている相手に対してヘッドバットを見舞う技。大きな会場ではトップロープから飛ぶこともある。
8469(ハシロック)
変形の膝十字固め。師匠である秋山が考案。
入場テーマ曲 [編集]

獣道 '07
【2010/12/31 01:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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